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【書評】『親をおりる −「ひきこもり」支援の現場から(彩流社)』長谷川俊雄さんより

2021年4月4日(日)に開催された「親をおりる」出版記念フォーラムにも参加くださった、
長谷川俊雄さん(白梅学園大学 子ども学科 教授)より、書評を頂きましたので掲載いたします。
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【書評】明石紀久男『親をおりる  ―「ひきこもり」支援の現場から』彩流社 2021.3.16
 
畏兄・明石紀久男が『親をおりる』を出版した。その一報を手にしたとき、2つの感情がよぎった。ひとつは、明石支援論いや明石支援節がまとまって聞けるというワクワク感、ふたつはオブラートで包まない直接的なタイトルをつけた決断への敬意だ。本書を手にする前から気持ちが高ぶる読書は本当に久しぶりだった。
 
明石氏とは10数年前から会合等で出くわしてきた。目がギョロってしていて、ロン毛、そして語り始めると言葉に力と情熱を感じる。めんどうくさそうな人だと感じていた。おそらく、警官が職質したくても職質を諦めるタイプかもしれない。しかし、何かのあと、居酒屋で話したときは少年のように笑顔で語り、とてもひとなつっこく、それでいて他者への配慮と敬意を忘れていない姿勢が印象的だった。このアンバランスこそが明石氏の魅力の一つだと思う。
 
それでも話し込んだりすることはほとんどなかったと言っていいだろう。講演やシンポジウムの終了後に「長谷川さん、良かった、まったく同感です」とニコニコした表情で何度も話しかけてくれた。ぼくも明石氏の話や言葉にいつも頷いて聞かせていただいてきた。深い親交とは言えないけれども、勝手に同志であり、良き理解者だと今日まで思ってきている。
 
本書は、本質を鋭く突いていることが最大の特徴だ。明石氏は、ミクロな日々の支援のなかにマクロな世界をしっかり位置づけて取り組むことを主張している。実は、ミクロの事象にはマクロな事象が投影されており、二つは密接不可分であるはずだ。しかし、ミクロの世界にはまり込むと近視眼的になってしまい、マクロの世界へのまなざしを忘却してしまう。言葉を換えて表現すれば、私たちは「大きな物語」に翻弄されて生きており、そのことに気づかないとミクロの世界での闘争と強要を作り出し幸せになれない。親を批判しているのではない。親も大きな物語の犠牲者として生きづらさを手にしている。だから、親も子どももひとりの人間として向き合える新たな関係性をつくろうと提案しているのだ。
 
そして、その考え方は、私たちが生きるこの社会と時代が抱える問題をしっかりと照射している。この姿勢は明石氏の今までの実践で何を大切にしてきたのかをよく表しているだろう。流されない、自ら問い続ける、他者の声に耳を傾ける、そしてひとりで深く思索する姿が思い浮かぶ。長年の実践をとおして形となった語りがこの時代に求められている。本書をとおして全国の多くの人たちへメッセージが届き、その人自身の救済とともに、明石氏が大切している「生き合う共同性」の復権の種が蒔かれることを願いたい。
 
本書は「あとがき」のあとにさらに「あとがき」が置かれている。このような本ははじめてだ。おそらく、まだまだ語り足りないことがあるのだろう。「おりる」ということは、つまり上昇することで足が地面から浮いていくことと異なることを志向している。地に足を着けて自分を自由に生きていこうと、明石氏は次に何を語るのだろう。
 
本書の誕生をこころから祝福したい。
 
2021年4月4日
長谷川俊雄
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お知らせ   2021/04/09   スタッフ