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宿題

8月も終わりに近づきました。
私が子どもの頃(主に小学生ごろ)には、
終わっていない宿題を横目に、
ただ単純に休みが終わってしまうことに、
なんとも表現のしようがない憂鬱を感じていたものでした。

大人になった(?)この頃の憂鬱のタネは、
長ーくほったらかしていた「宿題」を見つけてしまったことです。
それは「わたしの暮らし」探しという課題です。

コロナ禍で外出が制限されたことで、
「新しい生活様式」とか「お家時間の楽しみ方」とか言われていますが、
どうもピンとこない。特に「お家時間の楽しみ方」のほう。
それで気づいたのです、私の場合、もっともっと基本的なところからなんだって。

日々の暮らしのあれこれ(家事)をやらずに済んでいる生活で、
家事をほぼすべてやってもらっている、それで何をどう楽しむのか問題。

他人によっては「うらやましい!」と言われてしまいそうなこと。
ですよね。きっとね。

家事をやらなくていいことが憂鬱だなんて!って怒られそうです。
家事をやらずにいる分、自由な時間があって何が不自由!?
なんて贅沢な悩み!楽しみ放題じゃない!と、思われることでしょう。

でもですね、そもそも「わたし」は、どう暮らしたいのか?
それに目を向けずに生きて来たという大きな問題があるのです。

「家事を担っている人の好みや都合に黙って合わせて暮らす。」
それって実はとっても不自由なことなのです。
 
暮らしの全ては、家族の暗黙の了解のもと成り立っている。
不自由を感じている「わたし」がいるということを無視したまま。
 
長くそのように暮らしていることで、すっかり身に染みてしまって気づかなかった、
気づこうとしてこなかった、暮らしづらさが「ある」。

「お家時間を楽しむ」って以前の「暮らしをつくる」が私の中に育っていない。
担ってもらっているからといって、黙って我慢したりあきらめることはなかったんだ。

そんなことにも気づいてしまったのです。

さて、変えるなら気づいた「いま」なのですが、

そもそも「どう暮らしたいか?」「どんな暮らしを快適と思うか?」
そこからです。そこを取り戻すところから。

なにせ不自由でも我慢があっても、そこそこ暮らせてきたわけですからね。
なかなか簡単に答えは出そうもないのですが、やってみなければ答えもヒントもない。
いきなり今日から全部を担います!っていうのも正解じゃない。

そこでこの宿題の(最大の)難関は、

これからも共に暮らす「あなた」に、
「わたし」はこんな風に暮らしたいのだけど、を伝えること。
どこからどんなふうに伝えようか?伝えることでどうなるだろうか?

たぶんお互いに育ててこなかった「暮らしづくり」。
お互いの不自由を気づかないふりをしていたのかもしれない。
家族のほうにも不満や我慢、言わずにきていることがあるでしょう。

気づいてもらおう、変わって欲しい、というのではなく。
変えられるのは「わたし」自身についてのみ。
相談して、折り合って、育てなおす。

というわけで、
憂鬱になるには充分だと思いませんか?
けれど、これは、
独りで暮らすことになる、けして遠くない近い将来の為にも、
取り掛からなくてはいけない「宿題」でもあるのです。

スタッフのつれづれ   2021/08/26   スタッフ