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2020年

(2020年11月発行)会報『季節の風(ときのかぜ)』/017/秋号

2020年11月発行/017/秋号
◇明石から ◇できごと ◇これから(講師、講演会予定など) ◇スタッフのつぶやき ほか
通信017(秋)-01...
通信017(秋)-02...
「自助」というお化けが大暴れしている。
 
コロナ禍の中「マスク、手洗い、うがい、三密回避」の自助努力は、わかる。
しかし、「自粛警察」という自警団意識。
スピーチロック(*)と言われる、物言わせず、各々の価値観、生き方を認めない「自助」の強要。
 
 「自助・自己責任」として、個人の責任に閉じ込める。
これはコロナウィルスの感染によって始まったことではない。
川には表層・中層・底層の流れがある。
ろうろうと流れる川の中層に、流れの早い表層を支え、育てるものとして
130年程前に初めて「日本」という国家がつくられた(それ迄のお国は藩だった)時からの流れなのだ。
 
国内の藩による戦から海外(外敵)との戦いに向けて「国民国家」がつくられた。
「お上に奉仕する」「富国強兵」政策である。
そのことに欠かせないのが「国民としての自覚」であり、「滅私奉公」し、お国の世話になってはならない。
お国の迷惑になるな、という洗脳である。
 
それが流れの中層にあって、ひどく損得でものを考えるように仕立て、
コントロール(支配)できることこそが最も大切だ、という近代化と言われる表層の流れの根本・合理化という
薄っぺらく深みのないものに、どんどんと川幅を広げ大きな流れの主流を犯されて来てしまった。

わたし達の「生きる」の根底にあった底深い流れはやせ細ってしまった。
 
しかし失われてしまった訳ではない。脈々と堂々と深底を流れている。
それは「かかわり、共同の中にあるいのち」であり、頼り合い、助け合い、生き合おうとする流れである。
 
 コロナ禍で人と会える機会が大きく減っている。
それは、今迄のかかわりの中身を検証することが求められているのだ。
不要不急の外出をひかえる、と繰り返し言われる。その通りだ。
だから断じて必要であり、急がないが決して失ってはならない、
譲れない「他者との直接接触」は、手離してはならないのだ。
 
 やせ細った「かかわり・共同」を今こそ、もう一度見直し、
今ある貧相な窮屈な関係から解放され、仲間として、生き合う友人としてのかかわりを取り返すときなのだ。
 
脈々と流れる底流のわたし達の伝統は、無尽(むじん)や結(ゆい)や、
互いに助け合い、この厳しい環境の中で、力を合わせて生き抜くことにあったのだ。
 
 そう思い起こせる世代は、まもなく絶滅の危機に瀕する。
 
このコロナ禍だからこそ、かかわらないのではなく、
置き去りにして忘れて来た「融け合うかかわり」をいまこそ取り戻していくチャンスが到来している。
 
 他人事ではない。「わたし」ごととして「わたし」が感じ考えて行動していくことだ。
 
 
2020.11 明石紀久男
 
 
(*)スピーチロックとは、
言葉で相手の行動を制限したり、拘束したりすること。
特に医療や介護の現場で、患者や高齢者の行動を言葉で制限・拘束すること。(デジタル大辞泉より)
 

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2020年   2022/02/23   スタッフ

(2020年8月発行)会報『季節の風(ときのかぜ)』/016/夏号

2020年8月発行/016/夏号
◇明石から ◇できごと ◇これから(講師、講演会予定など) ◇スタッフのつぶやき ほか
通信016(夏)-01...
通信016(夏)-02...
 
激しい音をたてて雨が降り続いている。
かと思うと、ふっと雨があがる。
水たまりに電線の水滴が落ちて、まるで溜息をついているかのようだ。
なんて、ボンヤリしていたら、またザーッとたたきつけて来る。
 
 これまで経験してきた様相とかわって来た。これは雨降りに限らない。
 長い時間をかけて、ほんの少しずつだが確実に変化してきているし、
 これからもかわりつづけることになるだろう。
 
今迄になかった形の水害が、九州を中心とは言えあちらこちらに大きな被害をうんでいる。
雨の降り方が違うし、水の増え方が違う。
倒木・流木によって「ダム」がつくられてしまい、一気にその「ダム」が決壊する。
地震もつづいていて不安である。
山に入って間伐ができていれば随分違うのかな、と思ったりします。
どこか、人災な気がしてしまう。
お金の使い方が間違ってしまってやしないか。
 
家が泥だらけになって、そこからの回復にどれだけの労力と時間とお金と、
そして何より、そこに住む・暮らす人の精神的負担が考えられているのかと感じてしまいます。
 
地球が、気候が、どうかしてしまった!ということではなく、
人類が、わたし達ひとり一人の暮らしぶり、
生き方の選択がそれぞれの存在に攻撃を加えることになってしまっている。

新型コロナウィルスの登場は、まさにこのことを象徴的に表している。
「三密」を回避せよ!との号令がかかる。
 
・密集
人口が都市に集中し、満員電車の乗車率200%にも驚かなくなっていた。
高校時代には早朝のJRの駅で乗客の押し込みのアルバイトをした経験がある。
 
・密閉
日本的家屋は隙間風が吹き抜け、暖・冷房の効率が著しく悪く、サッシによる密封がすすめられた。
中学生だった夏休み、本格的なアルバイトの初めての体験は、
近くにあったアルミサッシ工場での「枠の熱さまし」の工程であった。
汗だくなんてものではなく、大きな皮手袋を両手にはめて、
水につけたサッシの枠が煙を吹きながら吊り上げられたものを移動させる作業だった。
同級生の熊倉君が毎朝、迎えに来た。
 
さてさて、ホップステップ・・・ジャンプの感じ。
 
・密着、です。
関係の在り方と心理的発達に関する「アタッチメント」という
重要な心理行動傾向と神経生理学的制御機序というのがあります。
これは人が危機(危険)を感じ不安や恐れの感情にみまわれたとき、
特定他者への近接(くっつき)を通じて安心感を得、安全を回復・維持しようとすること。
と説明されています。わかりやすくいえば「触れ合う」ことですよね。

雷が鳴ると蚊帳の中に逃げ込み母の布団の中にもぐり込んだことを思い出します。
 
「養育者から、友人、恋人、そして配偶者などへと対象をかえつつも、
その対象との間に安定したアタッチメント関係を取り結ぶことで、
心身の健康や心理的社会適応など高度に維持しうる。」と説明されており、
さらに、
「そうした対象の喪失は時に人の心身の健康を大きく揺るがしかねないことを明らかにしてきている。」と。
 
「密着」は決してはずせないと説明されていますが、わたし達の社会(共同)が失いつづけて来たものは、
実はこの身体と気持ちの「アタッチメント」(くっつき)だったのではないか、と
日々の相談の中で強く感じています。
 
いまこそ、本格的な、そして本質的な「密着」身体と気持ちの「避難所」「安心の基地」について考え、
行動するときなのではないかと思います。
 
2020.8 明石紀久男

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2020年   2021/07/17   スタッフ

(2020年4月発行)会報『季節の風(ときのかぜ)』/014.015/冬春合併号

2020年4月発行/014・015/冬春合併号
◇明石から ◇できごと ◇これから(講師、講演会予定など) ◇スタッフのつぶやき ほか
通信014・015合併...
通信014・015合併...
 
いろいろありすぎて、今回は何を書こうかと考えていると更にことが動く。

まとめたい、と考えているといつ迄も書けないので、
とにかく現在(いま)で切り取って書き出そう、と思います。
 
いざ書こうとすると散漫になって、
何がいいたいのか、伝わりにくいだろうな、と思うのですが、
いろいろ見えてしまって感じ考えてしまっているので
黙っていられない想いを、吐き出してみます。
 
まずはやっぱり「コロナウィルス感染症」から見えて来ているものでしょうかね。
大変な時代を生きているんだ、と実感させられますね。
 
グローバリゼーションと言われている「広がり」の恐ろしさ。
わたしたちの身近でも「広がり」は歓迎されているのでしょうか。

電車がどんどん遠くまで乗り込んでつながって、聞いたことのない街の駅名を知り、
どこだかわからないところの事故で電車が止まってしまったりしていますよね。
 
中国、湖北省武漢市の市場から、コウモリだかネズミだか、
といった(正確な情報かどうかも判らない!)情報から始まった「コロナウィルス感染症」。
 
便利か不便か?より安全なのか?だと思いますが、益々見えにくくなっている気がします。
もうどうにも手が届かず「いきすぎて」しまっていないでしょうか。
 
「わたし」がどこにいるのか宙に浮いてしまっている感じ。

人々が望んでそうなって来ているのか、
いや、どうも違う欲望(理由)で動いているとしか思えない。
「わたし」は意思表示していないがまぜられてしまっている。
 
リニアモーターカーがつくられている。
東京―大阪間が67分、東京―名古屋40分、時速500Km。
そして5G。第五世代移動(高速、大容量、低遅進、多接続)通信システム。
よくわからない!!
2時間の映画を3秒でダウンロードできると言われています。
そうなることで「ストレスフリー」になる、と。
逆にストレスを増やすことになるのじゃないのか。
 
わたしは新幹線「のぞみ」から気持ちが悪くなって「ひかり」に乗り換えたことがあるんですが…!
早い(便利で効率がよい)ことが快適ではなく、不快になってきているのです。
わたし達を取り巻く環境は「わたし」の望みとは別に、どんどん変化していきます。
 
自国第一主義を標榜するトランプ大統領らは、
この感染症とは向き合えないでしょう。
アフリカでの感染が報告され始めました。
世界には、家に手を洗う機能がない人口が30億人いる、と言われています。
 
わたし達が知ってか知らずか、望んでいなかったとしても、
そうした地域(国家)に暮らす人々たちを踏み台にして
現在の「豊かさ」があり、逆にその危うい「豊かさ」が、
この「感染症」で破綻することになるかもしれない。

実は福島の原発事故や、熊本・北海道での被災者、避難している方たちのことも、
忘れてはいないが「自分事」になっている訳ではない。

そんな暮らしぶり、生き方の見直しを迫られている様に感じるのです。
片方に変わらぬ日常があり、片方に望んでもいない状況があるとしたら、
その辛さ・苦しみに配慮した、気配りできる暮らしぶり、
生き方の選択が求められているんだろう、と思います。
 
相模原やまゆり園での殺傷事件の犯人に「死刑」の判決がなされました。
「抹消してしまう」という論理でいいのでしょうか。
「わたし」の中にも抹消しきれない差別意識が在るのではないか。
見えなくして終わらせる。それは違うのではないか。
我が子を虐待で殺してしまった父親に、禁固十六年の判決!!
 
どちらも「個人」に帰してしまっている。
つまり「個人」の問題、その人だけの責任にしてしまっている。
これでいいのか、そんなはずはないはずです。

「わたし」に関係ないのか?
「わたし」の存在する「共同」「共生」の関係の中の在り様が見直されなければならないのではないか。
 
 
 
 
2020.4 明石紀久男

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2020年   2021/07/17   スタッフ