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(2018年8月発行)会報『季節の風(ときのかぜ)』/008/夏号

2018年8月発行/008夏号
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(内容は、2018年8月時点のものです。)

シリーズ「80・50」
 
「80・50問題」が80歳代の親御さんと50歳代の息子あるいは娘の「ひきこもり」問題として随分あちこちで取り上げられ、僕も講師として良く呼ばれるようになっています。しかし、「80・50問題」は語られているような親の高齢化、ひきこもり者の高齢化、という見方だけでは問題の本質から大きくずれてしまうと感じています。
 
 これまで行政では「ひきこもり」を若者の問題として「不登校・ひきこもり」というくくりで捉えて、教育委員会や青少年課といったところが対応を考えてきた。しかし、40代50代となると、立派なおとな。壮年である。
 
 で、どう考え、どう対応したらいいのか。どこの部署が対応するのか、という惑いの中に置かれることになってしまった。ひきこもる人を発見するのが、高齢の親御さんのところに入るヘルパーさんやケアマネさんであったりする。そのために「高齢化」問題の文脈で語られて来ている場合が少なくない。見えていなかったものが突然浮上して来たような状況なのです。
 
 そう、見えていなかった「もの・こと」が見えるようになって来たのです。
まさにわたし達が生きて来た歴史とその時々の社会(共同)のあり様の結果の断面が姿を現して来たのです。
 
 つまり、わたし達が何を大切にし、何をないがしろにして来たのか。その結果が、いま(現在)目の前に現れて来ている。そう捉えることが重要だと思うのです。
見えていなかった、いや実は見えていたのだが、無視(あるいは先延ばし)してきたことの結果が現在打ち寄せて来ている。
 
 オウム真理教の死刑囚が、13人、突然刑が執行されてしまいました。(世界の潮流は「死刑廃止」であり、僕も「国家の殺人」に加担している現状を拒否したいと思っている一人です。世界で死刑制度が残っている国はわずかです。)その13人の年齢、68・63・60、そして50代が9人、48歳が1人。「80・50問題」のもう一つの断面がここにもあります。
 
 各所の電話相談の年齢別件数を見ると、ほとんどのところで、40代が一位そして二位が50代です。「子育て」や「仕事」に関する相談も勿論あるのですが、「苦悩する世代」と言えるのではないでしょうか?
 
 そこにあるものは何なのか。
 
 フランス革命(1789年)から、個人を基調にした社会の在り方に向かった。そこには論理的・理性的である「人間という存在への信頼」があった。人間を不条理で、惑う存在としては捉えていなかった。各々の個人が全てにおいて意志と責任を持って考え行動する。そのことが求められる社会(共同)づくりが始まった。
 
 そこで生まれ、大切にされることになった概念こそが「自己責任」。
あなたはあなたの周囲の「もの・こと」とどんな風にかかわっていますか?
 
 個人「わたし」は、色々な「もの」や「こと」との関係(=かかわり)の中に生きている。
 
 自己が自己として完結して生きているわけではなく、歴史的・社会的・物理的・精神的などなどの環境の中に生きているわけです。だとすると「自己責任」は一方(的)であって、もう一方の社会(共同)の側の責任も問われなければならないはずです。つまり双方です。関係の希薄さ「孤立」が言われている。いま(現在)、その双方の「かかわり」が、どう育って来たのか、育ててきたのかが問われているのではないのか、「かかわり」「関係」の質が問われていると思えています。
 
 
2018.8 明石紀久男

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2018年   2020/08/27   スタッフ