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(2021年1月発行)会報『季節の風(ときのかぜ)』/018/冬号

2021年1月発行/018/冬号
◇明石から ◇できごと ◇これから(講師、講演会予定など) ◇スタッフのつぶやき ほか
 
何とも寒々しい心持ちで新しい年を迎えることになった。
コロナ禍によって、見えていなかったもの・ことが、はっきりと浮かび上がって眼前にさらされて来た。
ひどく重く、苦しいが、これが現実であり実体なのだ、と想い知らされる日々が続く。
 
1986年東京都中野区に住んでいた私は、区立中野富士見中学二年生の鹿川君に対する「葬式ごっこ」といういじめによる自死事件に大きな衝撃を受けた。
 
それは現在(いま)の状況と同じように、突然私の眼前に提示された「子どものおかれている実体を突きつけられた時」だった。私も子育ての時代に入り、学校を変えたい、教育の在り様を変えたい、と出来もしないことを自分の仕事のように思い込んで地域と行政とを「住民自治」と標榜して駆け回っていた。
あれから35年、遊悠楽舎を始めた2001年から20年になるが、現実は更に劣悪になってしまっている。
 
まったく、何をして来たのか。
「学校が子どものいのちを奪う場になってしまった」という想いだったあの頃から、現在(いま)や政治が、社会全体が子どもや女性、弱い者たちを追い詰め、いのちを奪う(自死に追いやる)時代になっている現状である。
経済優先の資本主義という体制が行き過ぎてしまって、本末の転倒が積み重ねられて来た結果だ。
現在(いま)もそれは政策の失敗として露呈している。
「国民の命と暮らしを守る」と言いながら、やっているのは「いのち」をないがしろにする政策だ。
死ななくていい人を死なせてしまう事態が、私たちに医療崩壊・医療破綻というかたちで、具体的に見えて来た。
 
 今迄も、見えないところで自死や孤独死が報告されていたが、やっぱりそれは他人事だった。
しかしそうではなくなって、やっと気づかされる事態に立ち至っている。
 不登校の子どもの増加にとどまらず、ひきこもる人達、そして自死する人の増加、中でも女性の記録的な増加が報告されている。これらは、社会不適応を起こしている人たちの波が、限界を超え出しているということだ。
 
 私の関わる生活困窮する人たちの相談を受ける現場でも、今迄、ギリギリに何とかやり抜いて来た人達の暮らしが破綻し始めた時期を越え、更に今迄、生活についての相談などしたことがなかったという人達の相談が増え続けている。
 
 本質的で本格的な社会体制の変換が求められている。
「新しい日常」がコロナ禍によって語られているが、私(達)に突きつけられている問題はもっと根深い。
 
「80・50問題」と言われる高齢化するひきこもる人とその家族の問題と通底している。これ迄つくられてきた社会の問題なのだ。
変換へのチャンスはいくつもあった。
1998年に阪神淡路の大震災が「絶対に壊れない」と言っていた高速道路の崩壊とともに「信頼」が崩れた。
2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故は、更に大きく「安全への信頼」を失わせた。
そして2020年このコロナ禍である。
 
「新しい日常」は小さくしても、確かな、信じ合える「安全・安心」の気持ちの原点から始まらなければならない。
空疎なことばの繰り返しと無策に腹の底から憤る。
しかしそれは私達自身が招いたものだ。
私達に「変える責任」がある。
そして「わたしが変わる」責任がある。
何を大切にするのか、問われている。
 
 
2021.1 明石紀久男
 
 
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